李氏朝鮮末期の凄惨
悪辣な両班、苛烈な搾取、悲惨な貧困、
極限的不潔、未発達な社会、残虐な刑罰、
動物以下の女性の生活など、
外国人が見た人間業とは思えない
李氏朝鮮末期の実態
(両班とは「公金の居候」「盗っ人階級」「公認の吸血鬼」「欲深い乞食の群れ」「略奪階層」「寄生虫」「貪官汚吏」「陰謀の温床」など、どんな言葉でも言い表せない悪辣無比の支配階層)
両班について―李氏朝鮮500年停滞の元凶
李朝末期の代表的知識人だった李人植(1862~1916)が『血の涙』という詩を書いた。
『韓国堕落の2000年史』(101)
両班たちが国を潰した
賤民は両班に鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平をいえない。
少しでも値打ちがある物を持っていれば、両班が奪ってゆく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。
両班の前では、まったく無力な賤民は、自分の財産、妻だけでなく、
生命すらその気ままに委ねられている。
口ひとつ間違えばぶっ叩かれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない。
外国人の観察者も両班に対して例外なく、「朝鮮の宿痾」、「公金の居候」、「盗っ人階級」、「公認の吸血鬼」、「欲深い乞食の群れ」、「略奪階層」、「寄生虫」、「苛斂誅求」、「貪官汚吏」、「陰謀の温床」「民衆の膏血を絞り取っている」、「政府は巨大な強盗」など、もう言葉を探すこともできないほどの侮蔑の言葉で表現している。まさに李朝500年の停滞の責任はすべて両班にあると言っても過言ではないだろう。
『朝鮮紀行』(50)
(仕事もせずにいつもぶらぶら歩いている)
朝鮮人街の住民6700人のうち、その半分にあたる男たちはいつも歩いている。狭い道路はよそゆきの帽子をかぶって見るからに仕事もせずぶらぶらしている彼らで埋まっている。釜山での光景がここでも再現されているわけであるが、ただしここにはその価値1ドルから20ドルの商品を持つ常設の店舗がある。わずかな穴あき銭をめぐるやりとりで1時間は容易にすぎるところからみると、商取引はいつ果てるとも知れない。(済物浦=現在の仁川)
『朝鮮雑記』(92)
(最も富を蓄えることができるのは、地方官)
両班が何もなく日を過ごすさまは、まったく閑々無事、日の出から日没にいたるまで、何もすることがなく、ただ煙管をねぶって、一室で寝起きするのみである。しかし、財産家の多くは、この両班の階級である。彼らが官となって、庶民一般に対し暴斂(苛斂誅求)を尽くすことを、俗言では、「一人の代官を出せば、孫三代まで働かずに暮らせる」という。
そのなかでも、最も富を蓄えることができるのは、地方官になることである。それで、国の大臣の地位にあるものさえも、地方官に任じられるのを熱心に希望するのだという。
『朝鮮紀行』(556)
(党争とは、官職と金銭とを自由に采配できる地位の争奪戦)
朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らしむきのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることを何ら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。居候を大勢かかえている男にとって、そこから逃げ出すひとつの道は官吏になることなのである。下級にせよ上級にせよ官吏になれば、公金で居候たちを養っていける。であるから官職がどんどん新設される。目的は、国を治める者たちの親戚や知り合いを食わせるため、にほかならない。だからこそ朝鮮では政治の内紛や暴動が頻繁に起きる。おおもとはほとんど揺るがない。朝鮮の革命家は信念を支えに命をかけようとはしないのである。
いまこの瞬間にもソウルでは、何百人もの強壮で並みの知力のある男が、たばこ銭にいたるまでの生活費のすべてを身内または知り合いの高級官僚に頼り、日に3度ごはんを食べ、雑談にふけり、よからぬことを企んでいる。自立の誇らしい気分は無縁のものなのである。こういった居候たちを除去した方がいいとなると、あるいはもはや養ってはいけないとなると、官職をつくったり探してきたりしてあてがう。したがって行政府の雇用はこういった盗っ人階級の「独壇場」同然である。何年も前から朝鮮の品位を落としてきた党派争いによる政変は、政治理念の闘争などではさらさらなく、官職と金銭とを自由に采配できる地位の争奪戦にほかならない。政府高官がそれぞれ猜疑心が強く協力し合わないのも、ひとつには国王に対してほかの同僚より強い影響力を持ち、自分の親戚や知り合いを登用させたいという欲望が各大臣にあるからである。
同(558)
(盗む側と盗まれる側)
改革があったにもかかわらず、朝鮮には階級がふたつしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の5分の4をゆうに占める下人は文字通り「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。
『西洋人の見た朝鮮』(129)
ダレ神父『朝鮮教会史』
(堕落した科挙制度)
朝鮮朝廷の不正腐敗について辛辣な批判を加えている。「高位官吏と貴族らが、上は国王を疲弊に追いやり、下は民衆の血を吸い上げている」と指摘した。「支配階層が民衆の血を吸い上げている」との表現は、朝鮮開港以後にこの国を観察した西洋人たちの記録にしばしば見られる。
ダレは科挙制度についても詳述している。まず、「かつては人材登用の良い手段であったこの制度が、今ではすっかり堕落したのは確かだ」と記す。科挙試験の合格は、「最も金持ちの者や最も強力な後援者が推す人間に与えられる」のである。そして彼は、門客(勢力家に寄生する食客、書生)の弊害についても叙述を展開する。門客らは、生産的なことはいっさいせず、ただ大官らの居間に出入りしながら使い走りなどで彼らに媚を売り、他人を罠にはめるといった手練手管を弄しては官職を手に入れようと狙う連中で、ダレは彼らを「欲深い乞食の群れ」であると嘲笑した。
『朝鮮事情』(198)
(冷淡な利己本能のみに支配された野卑で貪欲な人びと)
(門客は)自分には無益なもの、敵対するものや劣等なものに対しては、最も冷淡な利己本能にのみ支配された野卑で貪欲な気持ちで対応しようとします。彼は、幸運の後をついて回り、幸運のほほえむ人にはへつらい、幸運に見放された人を避けるのです。また彼は、剛を示すのが得か、柔を示すのが得か、けちに徹するのが得か、気前よくするのが得か、裏切るのが得か、忠節を尽くすのが得かを、いつも打算しています。自己に有利なら、不和を生じさせることもします。親族や友人たちを離間させ、権勢ある一族同士に不俱戴天の悪意と敵意を抱かせ、真実と虚偽、賞賛と中傷、忠誠と背反の手段をかわるがわる活かすすべ、これこそが彼のもっとも常套的方法です。
『朝鮮事情』(192)
(金も土地も奪い取る)
両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。大両班は、金がなくなると、使いの者をおくって商人や農民を捕らえさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまで笞打たれる。両班のなかで最も正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつて無いからである。彼らが農民から田畑や家を買うときも、ほとんどの場合、支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。
『朝鮮事情』(194)
(強奪や搾取しなければ生活が成り立たない)
現王朝が樹立され、こんにちのような朝鮮の両班階級が成立して以来、すでに16、17世代を数える。したがって、当初から両班の数はかなりのものであったうえに、こんにちでは驚くべき比率で増加し、これが、現在、この国の大きな災厄になっている。なぜなら、両班階級の人口が途方もなく増加したため、彼らのほとんどが極貧に陥り、強奪や搾取で生活しなければならなくなったからである。すべての両班に品階と官職を与えることは、現実的に不可能である。しかしながら、すべてのものがそれを望み、幼少の頃から官職への途に向かって科挙の準備をしている。ほとんどの者は、他に生活方法を知らない。彼らは、商業や農業、あるいはなんらかの手工業によって真面目に生活の糧を稼ぐには、あまりにも高慢であり、貧窮と奸計のなかで無為に世を送る。
『朝鮮事情』(195)
(首尾よく官職に就くと一族全体の扶養義務を負う)
両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、最も遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、彼は一族全体を扶養する義務を負う。もし、これに充分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、みずから金銭を得るためにさまざまな手段を使う。ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は、金庫には一文の金もないと主張する。すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井に吊り下げて厳しい拷問にかけ、ついには要求の金をもぎ取る。のちに守令がこの事件を知っても、略奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、また、今の地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。
『西洋人の見た朝鮮』(182)
井上角五郎『漢城廼残夢』1895 (日本政府により発禁処分)
(他国の要人にへつらって自分の地位を固めようとする)
1884年と1885年のソウルを無秩序と混乱の世として描写している。「ソウルの繁華街にも白昼に盗賊が横行し、地方の至るところに蜂起が起きている」。
状況がこのように逼迫しているのにもかかわらず、朝廷の官吏たちは互いに権力争いばかりしていると言って、彼は慨嘆した。政府の腐敗について彼は、「通貨は下落し、賄賂は横行し、常民の成金は1千両ないし2千両(日本の両の100分の1ほど)上納すれば朝廷から監役という官名がもらえるので、監役は日毎に増え、その弊害はとうてい語れない」と非難した。彼はまた、「国の独立に本意があるのではなく、清やロシア、あるいは他の国々の要人たちにへつらって自分の地位を固めようとする人さえ生まれた」と嘆きながら、朝鮮の将来を悲観的に展望した。
『西洋人の見た朝鮮』(427)
米国人牧師グリフィス『コリア―隠者の国』
(支配階層が国家を滅ぼした)
彼は両班階級を痛烈に批判する。これら階層に属する人々は税金・兵役・労働のすべてを免れ、農民を収奪して暮らしていると言う。それで彼は、両班階層を「略奪階層」または、「寄生虫」であると言って罵倒した。
さらに踏み込んで彼は、両班階層はひとつの特権階級となって、「愛国的な犠牲と個人的な勤勉」を示すことなくソウルを「陰謀の温床」に、そして朝鮮を「極東の暴風の中心」に作り上げたと非難した。彼らは中国の支配階層のように「達者な商人」にもなれず、日本のそれのように「勇敢な戦士」にもなれないまま、奸智を発揮し、陰謀を凝らし、政敵を打倒して自分の地位と特権を維持することだけに全力を注いでいるというのだ。支配階層のこのような生活ぶりが結局、自身ばかりか国家まで滅ぼしたのだ、というのが彼の主張である。
『西洋人の見た朝鮮』(208)
フォーク『米国海軍将校フォークの日記』(1884年11月から南部を旅行し毎日日記をつけた)
(国民を力ずくで征服することで政府は維持されている)
これら以上に重要な観察は、朝鮮王朝の救いがたい腐敗ぶりであった。彼は11月5日の日記に、国民を力ずくで征服することで政府は維持されていると書き、11月13日の日記には「官吏らは民衆を絞り上げている」―この表現はあちこちに見受けられる―、11月14日には「政府は一人の巨大な強盗と化している」と記した。とくに彼は、地方の特産物を王室と中央政府に供出させる貢物制度を通じて、政府がいかに収奪を働いており、また官吏は官吏で、自分の私腹を肥やそうと貢物を巡って政府をどう騙しているかについても、詳細に記録した。彼はこの制度こそ、自身がこれまで聞いてきたなかで「最悪」であると断定し、地方官庁の役人らは民衆の膏血を絞り取っている最悪の組織だと非難した。
『西洋人の見た朝鮮』(233)
英国人チェスニー・ダンカン(1883年に朝鮮政府の税関補佐官に任命され、済物浦に勤務。1889年3月16日付『チャイニーズ・タイムス』に論説を発表)
(政府は完全に破産状態)
ダンカンはこの国の首都を、「陰謀・腐敗・暴政・悲惨、そして極めてひどい野蛮のひしめきあう温床」と嘆き、「この国には進歩もなければ繁栄もない」と断言した。また、国は常に「混乱していて、政府は「完全な破産状態」に陥っていると指摘した。総合すると「この国は現在、地獄に堕ちる一歩手前に置かれている」と見た。
(重要な戦略的位置)
このように見栄えのしない悲惨な国であるのに、どうして列強は朝鮮で角遂を展開するのか。彼はそれを、この国が極東に占める「重要な戦略的位置」のためだと見た。ことに隣接する日本・中国・ロシアは互いにこの国が相手に取られるのを極度に警戒しており、それによって生じる角遂が極東の平和と安定を脅かしている、と彼は主張した。とくにロシアの進出に大きな警戒心を表している。
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